第8回米澤穂信『満願』 精緻な文章に潜む猛毒は、命より大事な何かを抱える者の逸脱した想い。
2015/06/23
渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。
「本を読む」という行為は自分との対話に他ならない。特にフィクション作品は、読む人の内に感性に基づく独自の解釈が形成されることで、得られるものが変わる。良い読書は人を変えるものなのだ。本を読み、自分が変わっていく快感。それを繰り返す内に、人はいつの間にか読書中毒になっていく…。本連載は、そんな読書中毒患者の皆と一緒に、より深く読書の森へ入り込んでいくことを楽しむために生まれたものである。
米澤穂信『満願』
第8回の書評は「満願」米澤穂信(著)です。
その筆致は文豪を、その猛毒は人間の本質を想起させる
優れた作家は例外なく文章が美しい。本書の著者・米澤穂信は青春文学の旗手として名高く、かつ濃厚なミステリをも手がける多彩な作家として知られており、その端正で精緻な文章は往年の文豪を想わせるほどだ。しかも、人間を描くのが上手い。本質的に持つ人間の悪を暴かせたら敵はいないかもしれない。美しい文章に酔いしれていると、その猛毒にやられてしまうだろう。
著者の数ある作品の中に、フィニッシングストローク(最後のどんでん返し)の威力が凄まじい傑作「儚い羊たちの祝宴」がある。これは最後の一行によって物語が暗転する甘美かつ残酷な短篇集だったわけだが、本作「満願」という短篇集はその流れを汲んでいるといっていいと思う。ラスト1行というわけではないが、各話の終盤で読者は必ず裏切られる。それも、残酷なかたちで。
命より大事な何かを抱える者たちの物語
米澤穂信は人間の悪意を昇華させるのに長けた作家だ。人間はそこまで理性的でないし、世間的には間違っているとされることでも、しなければならない選択がある。そこにあるのは、悪の道をひた走ろうとする明確な意識ではない。ほんの少し、現実世界から逸脱すること。その積み重ねが成す悪を描いているのだ。
私たちは、命は大事なものだと小さな頃から教わってきている。だから人を殺すのはいけないことだし、自分の命を自分で絶つこともいけないことだとわかっている。それは多くの人にとって、おそらく大前提として染み付いているようなものだろう。
命は大事なもの。しかし、命以上に大事な何かを抱えている人間がいるのも事実だ。ある地域の原住民にとっては、命よりも誇りを守ることの方が大事だとされている。また、ある国では親や上司、国自体に命を捧げることが何よりも大事だとされている。そしてその最小単位は「人」に及ぶ。要するに、人によって何が最も大事なものなのかは違うということだ。
わかりやすい悪などそういない。あるのは逸脱の積み重ね
本書はそんな、本当に大事なもののために世間から逸脱する選択をした者たちの物語が収められている。「本当に大事なもの」は人によって違う。卑小なプライドに過ぎなかったり、居場所を保ち続けることだったり、愛する人のもとにいるためだったり…。
普通のフリして生きている私たちだって、その都度最良の選択をしているとは限らない。何かを得るためには、何かを捨てなければならない。そしてその選択や行動が逸脱していないことであるかは、本人にすらわかっていないことが多いのだから。
それぞれの物語に仕込まれた驚愕の結末に私たちは違和感を覚えるだろう。しかしそれが絵空事のようなファンタジーではなく、現実から半歩だけ踏み外した逸脱であるがゆえに、居心地の悪い納得感に苛まれもするのだ。
どんでん返しというと、胸のすくハッピーエンドか見事なまでのトリックを想像する人は多いだろう。そういった意味では本書で爽快感は得られない。代わりに得られるのは「人間とは何か」についての切れ端だけ。
悪に立ち向かわずして人間はわからない。この猛毒を、敢えて取り入れてみるのも一興では?
執筆者:渕上聖也
ライター・エディター。書評や映画評などの批評、インタビューを得意としています。ガイアックスソーシャルメディアラボのブログの中の人。コトバ使いにセンスのある女性が大好物です。人と積極的に会うことで日々のモチベーションを養っています。
ヘンテナプロジェクト:http://hentenna-project.com/
画像提供:PAKUTASO様 企画:渕上聖也・大野謙介 GIFアニメ制作:大野謙介

(いいね!で最新記事を毎日受け取れるみたいですよ)
あなたの好奇心を刺激する
コラム、ビジュアルビュース、GIFマンガ、海外映像作品紹介記事を毎日配信