そこはかとなく好奇心を刺激するクリエイターの秘密基地。

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第4回 降田天『女王はかえらない』 鮮やかに騙されるプロットの妙、人は無意識のバイアスから逃れられない。

      2015/06/02

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

「本を読む」という行為は自分との対話に他ならない。特にフィクション作品は、読む人の内に感性に基づく独自の解釈が形成されることで、得られるものが変わる。良い読書は人を変えるものなのだ。本を読み、自分が変わっていく快感。それを繰り返す内に、人はいつの間にか読書中毒になっていく…。本連載は、そんな読書中毒患者の皆と一緒に、より深く読書の森へ入り込んでいくことを楽しむために生まれたものである。

降田天『女王はかえらない』あらすじ

第3回 降田天『女王はかえらない』 鮮やかに騙されるプロットの妙、人は無意識のバイアスから逃れられない。

第4回の書評は「女王はかえらない」降田天(著)です。

片田舎に立つ針山小学校の3年1組。
ここにはひとりの女王が君臨していた。

「マキ」

彼女を頂点としたスクールカーストは、マキの気分次第で2位以下は入れ替わる。マキと一番の仲良しだからって安心はできない。親友だと見做されていたミッキーは、マキの誕生日会にディズニーランドに行く予定があるから参加できないと言った瞬間から最下層に叩き落とされたのだから。

物語の語り手は、そんなスクールカーストのどこにも属さず、独立した存在として立ち振る舞う「ぼく=通称:オッサン」だ。

そんな3年1組に転校生がやってきた。

「エリカ」

都会からやってきたエリカは、佇まいといい洗練されたファッションセンスといい、女王に相応しい品格を持っているように見えた。

スクールカースト最下層に落とされたミッキーはエリカの下僕となり、瞬く間にクラスは二分する。

旧来の女王・マキ派と、新女王・エリカ派。

ふたりの女王の熾烈な闘いが始まるーーー

思い込みと常識が、感覚を狂わせる

第3回 降田天『女王はかえらない』 鮮やかに騙されるプロットの妙、人は無意識のバイアスから逃れられない。

人は思い込みの呪縛からは逃れられない。
「そんなことはない、自分は常にものごとをフラットに見ている」だって?

テレビで盛んに報道されている悲惨な殺人事件について、「小さな少女を無残に殺すなんてどうかしてる!きっと精神異常者だ!」と決めつけたりしていないだろうか?

もちろん殺人は犯罪だが、犯人が精神異常者かどうかはきちんと調べてみないとわからないし、ひょっとすると調べてみたところではっきりしないかもしれない。

満員電車で優先席に座って頭を垂れている若者を見て、「けしからん!若いのになんで優先席に座っているんだ!?」なんて決めつけていないだろうか?

元気な若者だって疲れていることもあるし、体調を崩しているのかもしれない。誰だって体調が悪ければ座って休みたいと思うものだから。しかも自分が若いことを理解していて、申し訳ないと思いながら座っているのかもしれない。

バイアス(=偏り)をゼロにするのは困難だ。不可能だといっても過言ではないかもしれない。

しかし、このことさえ知っていれば、極力ものごとをフラットに見られるようになるかもしれない。要するに「自分の思考には、常に何かしらのバイアスがかかっている」と理解することだ。

そして人は生きていくために「常識」を学んでいく。それはそうだ、誰しもが自分勝手に生きていたらこの世は成り立たない。共通認識としての常識を持つことは、須らく求められていることだろう。

しかし世の中には、常識の枠に収まらない人が存在する。それは凶悪な犯罪者であったり、優秀な科学者だったり、はたまた先進的な技術を産み出すプログラマーだったりするだろう。

常識を知らずには生きていけない。

しかし、このことさえ知っていれば、非常識な人でも極力生きにくさを感じずにいられるかもしれない。要するに「常識を守らないんじゃない。常識を知った上で破壊しようとしているんだ」と公言することだ。

決してめずらしいものではないトリック

第3回 降田天『女王はかえらない』 鮮やかに騙されるプロットの妙、人は無意識のバイアスから逃れられない。
降田天という風変わりな名前の作家が紡ぎだした『女王はかえらない』という物語には、思い込みと常識を意識して排除しない限り、間違いなく騙されるであろうトリックが仕込まれている。

しかしミステリを読み慣れている読者にとって、決してめずらしくはないトリックだ。ひょっとすると「こういうトリックなんだろうな」とすぐに気付いてしまうかもしれない。
だが、それが仇になるかもしれない。

解決しない問題が目の前にあるとき、問題を構成するパーツが必ずひとつしかないとは限らない。実は複数のパーツにある問題が折り重なっていて、ひとつの問題点に見えているだけのこともある。

つまり、トリックはひとつであるとは限らないということだ。物語にどんでん返しが仕込まれるとき、誰が「ひとつだけ仕込んでおけばいい」と言った?

『女王はかえらない』が売り出されるとき、散々このトリックの凄さについてアピールされていた。要するに「この物語はあなたを騙そうとする小説ですよ」と積極的に伝えてきている。

だから読む方も、そういった類の物語であることを理解した上で読んでいるはずだ。

だがその時点で読者は術中に嵌っている。仕込まれたトリックはひとつであると、勝手に思い込んでいるだろうから。

人は自然と自分の都合のいいように解釈し始める。

例えば、年齢について書いていないのに、話しぶりや仕草・行動などから勝手に「この人物は20代くらいの男性で、多分大学生くらいなんだろうな」と思い込んだり、主人公があまりに理不尽な境遇で慎ましい生活を送っているから、「きっとこの世を儚んで、いやむしろ呪っているんだろう。恵まれた環境で育ったBのことを恨んでいるに違いない」と想像したりするものだ。

そして、こういった判断をしてしまうことは避けられない。人のパーソナリティは、育ってきた環境や体験、知識などに影響されて成り立っている。誰にも影響されず生きている人はいないのだから、もし自分が学生時代にいじめを受けていたのであれば、いじめられている人に感情移入してしまうこともあるだろう。それは仕方のないことだし、別に良い悪いの話でもない。

だからこそ物語を読むのはおもしろい。人によって解釈や評価は変わるものなのだから、決して万人に受け入れられる物語が存在しないのは当たり前のことなのだ。

騙されても、いいんじゃない?

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最後に、この問いかけに答えてほしい。

「あなたは物語を読むとき、本当にトリックを暴きたいと考えているだろうか?」

目の前にトリックがあるとわかっている物語を提示されたら、無意識に「騙されないぞ!」とか、「絶対に解いてやる!」とか思ってしまうんじゃないだろうか。ひょっとするとその時点で思い込みは始まっているのかもしれない。

「謎を解いたときのカタルシス」は確かにあるだろう。しかし、それ以上に「鮮やかに騙されたときのカタルシス」は大きいものだ。ぐぅの音も出ないくらいに騙されたら、案外スッキリする。

それにこれはリアルじゃない。騙されたからといって失うものは何もない(あるとしたらミステリ読みのプライドとか?)。積極的に騙されにいくのも結構。物語を楽しむのは、非日常感を味わうためにすることでもあるのだから。リアルで騙されまいと常に気を張っているのなら、物語に没頭するときくらい気を抜いて騙されるのもいいかもしれない。

都合のいいことに『女王はかえらない』は、物語としての面白さがしっかりと作りこまれているので、トリックが解けようが解けまいがどちらにしても楽しめることは間違いない。

筆者が声を大にして言いたいのは、とにかく物語が面白すぎるので多くの人に読んでほしいということだけだ。

・・・ひょっとすると、こんな書評を書いている奴が物語をどう読んだのか気になっている人もいるかもしれない。そんな奇特な読者のためにひとことだけお伝えしておこう。

筆者は思い込みも常識も捨てられなかった。

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執筆者:渕上聖也

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ライター・エディター。書評や映画評などの批評、インタビューを得意としています。ガイアックスソーシャルメディアラボのブログの中の人。コトバ使いにセンスのある女性が大好物です。人と積極的に会うことで日々のモチベーションを養っています。
ヘンテナプロジェクト:http://hentenna-project.com/

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

画像提供:PAKUTASO様 企画:渕上聖也・大野謙介 GIFアニメ制作:大野謙介

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