そこはかとなく好奇心を刺激するクリエイターの秘密基地。

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第2回 又吉直樹『火花』 孤高の信念が呼ぶ“嗤い”、共感と感情移入に支えられた“笑い”。『おもしろい』とは一体何なのか?

   

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

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「本を読む」という行為は自分との対話に他ならない。特にフィクション作品は、読む人の内に感性に基づく独自の解釈が形成されることで、得られるものが変わる。良い読書は人を変えるものなのだ。本を読み、自分が変わっていく快感。それを繰り返す内に、人はいつの間にか読書中毒になっていく…。本連載は、そんな読書中毒患者の皆と一緒に、より深く読書の森へ入り込んでいくことを楽しむために生まれたものである。

又吉直樹『火花』 『おもしろい』とは一体何なのか?

第2回の書評は「火花」又吉直樹(著)です。

第2回の書評は「火花」又吉直樹(著)です。

ひとりの異才と、ひとりの凡才が織りなすドラマ

世に商品を送り出すとき、マーケティングについて考えない人はいないだろう。いったい市場では何が求められているのか。何が消費者の共感を生むのか。消費者を感情移入させるにはどうすればいいのか。数多のマーケターはそれに頭を悩ませ、一手先を読み、市場を操ろうとする。ラジオの誕生、テレビの普及、インターネットの流行、ソーシャルメディアの到来・・・それぞれのシーンでマーケティング戦略は変わり、去年当たり前だった手法は今年通じないこともザラだ。

一方、そんな市場の変化に流されまいとする人たちがいる。彼らは一般的に、アーティストと呼ばれる。彼らには「自分が素晴らしいと思う信念」に従い、思うがままに作品を送り出す。世情を読み、器用に自分の信念と折り合いをつけながら作品をつくる者もいるが、多くは不器用で、一途で、真面目で、自分の気持ちに忠実な、とても愛おしい存在だ。

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私たち凡人はそんな彼らを怖れ敬う。世間の目から逃れられず、人が望むものつくりだすことに腐心し、本当にやりたいことの次元を下げ、協調と共感の渦から逃れられないからだ。「自分が本当にやりたいこと」に忠実に生きる彼らに憧れ、どこか冷めた目で見る。そんな相反する性質の存在が、凡人というものなのだ。この物語は、ひとりの異才とひとりの凡才の、人生の重なりを描いた『人間悲喜劇』である。

異才の持つ、揺るぎないお笑い哲学

語り手の名は徳永。中学以来の友人と『スパークス』というお笑いコンビを組んでいる。熱海の花火大会で開演前の余興を担当していたが、花火の爆音に声はかき消され、客の耳に彼らのネタは届かない。すごすごと引き下がろうとしたとき、後続のコンビ・あほんだらとすれ違う。そのとき、コンビのひとり・神谷がこう言った。

「仇とったるわ」

これを期に、徳永と神谷は親交を深めていく。ふたりの掛け合いはすべて漫才で出来ていると言っても過言ではない。それはもちろん、ふたりが漫才師だからではあるが、それ以上に神谷のお笑い哲学が徳永を動かしていたのが大きい。神谷の言葉を引用しておこう。

「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん。」

笑いを追求し、笑いに生きることの苛酷さをここで感じるだろう。神谷は自分なりの笑いを追求することに疑念はなく、それを過度に押し付けてくることもない。彼にとって物事を判断する基準は「おもしろいかどうか」のみ。もちろん相手が笑ってくれることは大事だが、それ以前に神谷自身が、自分の美学に沿った笑いを提供できていると認めなければ、おもしろがらせたことにはならない。神谷は究極のアナーキストなのだ。

孤高の信念が呼ぶ“嗤い”、共感と感情移入に支えられた“笑い”

あるのかどうかもわからない「究極のお笑い」に取り憑かれた神谷。彼は自分なりに笑いを追求し続ける。その姿は、マーケティングの枠に収まらないアート(創作)を志す若者にとって猛毒となる。どうしたって若者は、権力や体制に反抗したがるものだ。大人になるにつれ、人は迎合することを学ぶ。それがいいことなのかどうかはわからない。ただ、食っていきやすくはなるのだろう。だが、若さは抑圧を飛び越える。アナーキストを貫く神谷を師匠と仰ぐ徳永の気持ちを、若さを失った大人たちは理解することができるはずだ。

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そして、リアルを生きる徳永はアナーキストになることができなかった。徳永は小さな頃からずっとお笑い芸人になりたかった。大物芸人になるんだと決めていた。その熱い思いは、決して神谷と変わるものではなかっただろう。しかし徳永は気づいてしまった。自分が大成するには、世間が求めている共感と感情移入に支えられた“笑い”を提供しなければならないことに。神谷のように、世間を敵に回しても揺らがない孤高の信念が呼ぶ“嗤い”が、必ずしも成功に結びつくわけではないことに。

徳永は凡人なのだ。そしてそれは全く恥ずべきことではない。世の中のほとんどは平凡な人たちで回っているし、平凡な幸せを楽しめるのは、この上ない才能でもあるのだろうから。

現実を逸脱してまで自分の信念を追求するには、努力だけでは足りない。逸脱を美学としている内は、単なる自己陶酔でしかない。逸脱せざるをえない人とは、普通に生きていても逸脱してしまう人のこと指す。徳永は凡才で、神谷は異才だった。ただそれだけなのだ。

共感至上主義が、創作意欲を失わせる

世間の共感志向を憂う神谷は、物語でこう述べている。

一つだけの基準を持って何かを測ろうとすると眼がくらんでしまうねん。たとえば、共感至上主義の奴達って気持ち悪いやん?共感って確かに心地いいねんけど、共感の部分が最も目立つもので、飛び抜けて面白いものって皆無やもんな。阿呆でもわかるから、依存しやすい感覚ではあるんやけど、創作に関わる人間はどこかで卒業せなあかんやろ。他のもの一切見えへんようになるからな。これは自分に対する戒めやねんけどな」
(中略)
「せやな。だから、唯一の方法は阿呆になってな、感覚に正直に面白いかどうかだけで判断したらいいねん。他の奴の意見に左右されずに。もし、俺が人の作ったものの悪口ばっかり言い出したら、俺を殺してくれ。俺はずっと漫才師でありたいねん。この珈琲美味いな」

「お笑い芸人」は人が生きていくのに必要な職業ではないし、「お笑い」は生活必需品ではない。要するに、嗜好品でしかない。コーヒーやタバコのようなものだ。好きでもいいし嫌いでもいい。何なら興味がなくてもいい。

創作物などそのほとんどは嗜好品なのだ。誰もが共感する笑いを供給するのが正しいことなのか正直よくわからない。しかし嗜好品が限りなく細分化しているこの時代に、それを望むのは難しいだろう。神谷が主張することは、おそらく正しい。

非凡な者が、自分の非凡さをありがたく思っているかはわからない

凡人は非凡な者に憧れを抱く。非凡に生まれなかったことを少し憎んだりもする。しかし、非凡な者からしたらどうだろう。本人は、必ずしもありがたいと感じていないかもしれない。世間に迎合できず、自分のやりたいことしか続けられない。そんな「不器用な才能」を与えられただけなのかもしれないのだから。逸脱した才能は、うまく使えなければ足枷にすらなり得るのだ。それがよくわかるのが、物語のラスト。おそらく誰も想像し得ないこの展開に、神谷は「こうやって生きることしかできない」人であるとわかるだろう。好き勝手やっているように見える、常識から弾かれてしまった人や、逸脱せざるを得なかった人。彼らに共感できないからといって、決して排除しようとしないでほしい。別に無理やり肯定する必要もない。ただ、彼らはそれでも存在している。それは認めなければならない。

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物語の著者・お笑いコンビ『ピース』の又吉直樹は、インタビューでこう述べている。

「共感できるものしか認めないという風潮がめっちゃあるなと。共感しなくても面白いものはあると思うんです」「共感できないなりに理解してほしい」と語るのは、自身が子どもの頃から「共感を得られるタイプじゃなかった」から。「存在は認めてくれ」「おったらあかんやつにするな」という思いがあり、本作についても「『あったらあかん小説』にもしてほしくない」と言う。
本作を執筆後、「いろんな人がいて、常識から弾かれている人もいっぱいいて。そういう人もいていいし、『無駄じゃない』『生きてていい』って思いたいんやなって思いました。伝えたいというよりは僕自身が」と感じたという

ピース・又吉、小説『火花』に込めた思い「”こうあるべき”は芸人じゃない」
(http://news.mynavi.jp/news/2015/03/14/079/)より引用

又吉は、徳永なのかもしれない。

しかし、初めての小説『火花』を読む限り、少なくとも文才においては神谷である。

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執筆者:渕上聖也

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ライター・エディター。書評や映画評などの批評、インタビューを得意としています。ガイアックスソーシャルメディアラボのブログの中の人。コトバ使いにセンスのある女性が大好物です。人と積極的に会うことで日々のモチベーションを養っています。
ヘンテナプロジェクト:http://hentenna-project.com/

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

画像提供:PAKUTASO様 企画:渕上聖也・大野謙介 GIFアニメ制作:大野謙介

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