そこはかとなく好奇心を刺激するクリエイターの秘密基地。

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第1回 平田オリザ『幕が上がる』 青春小説の金字塔であるとともに、コミュニケーションとは何か、に応える物語

   

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

「本を読む」という行為は自分との対話に他ならない。特にフィクション作品は、読む人の内に感性に基づく独自の解釈が形成されることで、得られるものが変わる。良い読書は人を変えるものなのだ。本を読み、自分が変わっていく快感。それを繰り返す内に、人はいつの間にか読書中毒になっていく…。本連載は、そんな読書中毒患者の皆と一緒に、より深く読書の森へ入り込んでいくことを楽しむために生まれたものである。

劇作家・平田オリザが、初めて執筆した小説『幕が上がる』

今回の書評は幕が上がるです

第1回の書評は話題作「幕が上がる」平田オリザ(著)です。

国民的アイドル・ももいろクローバーZの影響力

2012年に刊行されたこの本が、なぜ今話題になっているかというと、実写映画化に際し、国民的アイドル・ももいろクローバーZのメンバー5人全員が、主要な役回りで出演しているからだ。

平田オリザ作家生活35年にして初めて、単行本と合わせた累計発行部数が10万部を突破した書籍になったと話題を読んだことが記憶に新しいが、それもモノノフと呼ばれる熱いももクロファンが多数購入したからであることは想像に難くない。

話を小説に戻すが、とても初筆とは思えないほど流暢なストーリーテリングに、本谷有希子ら演劇界出身の作家が増えている理由がわかったように思う。表現のかたちとしては別物だとはいえ、伝えようとする力に、そう違いがあるわけではないのだろう。

文化系クラブにだって、負けたら終わりの闘いがある

「幕が上がる」は、地区大会突破を目標に活動している高校演劇部の奮闘を描く、ド直球の青春物語。それも、演劇に対する情熱や部員同士の友情、それにちょっとばかしの恋を混ぜ込んだ、最近めずらしいくらいの青春っぷりだ。青春物語といえばどうしても運動系クラブをモチーフにしたものが多く、演劇部という、どちらかというと地味な文化系クラブが取り上げられることは少ない。しかし、運動系だろうが文化系だろうが「負けたら終わり」なのは一緒。同じ挑むのなら、地区大会なんかより上に目指すべきものがあるだろう。東京で演劇をやっていたという、新しく赴任してきた美人教師は、部員たちに向かってこう吠える。

「何だ、小っちゃいな、目標。行こうよ、全国」

この一言で、部員は変わる。勉強よりも、恋愛よりも、打ち込むべき大切なものがある。今しかできないことがある。

「私たちは、演じつづけて何になるのだろう。」

書籍の帯には、大きくこう書かれている。地区大会突破を目標としていた頃、部員たちは演じることとは何なのか、わかっていなかった。演技とは、単に仕草の良し悪しだけで決まるわけではない。観ている者に、役割を通して伝えたい想いが伝わっていなければ、いい演技とは言えない。

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5人の少女たちは全国大会のステージを目指す。「私たちは、演じ続けて何になるのだろう。」

伝えたい、でも、伝わらない。どうすれば伝わるのか考える。表現方法を変えてみる。伝わった!・・・でも少しニュアンスが違う・・・?もう一度考える。この表現ならどうだろう?

・・・

演劇を通して何かを伝えたいという欲望は、伝わらないという経験がなければ持ち得ない。「伝えたい、伝わらない、どうすれば伝わるか考える、やってみる、伝わった!」散々伝わらないことを経験してきた部員たちは、この繰り返しで演技を磨いていく。しかし部員たちは、この試行錯誤がもたらす本当の意味をまだ知らない。

伝えようとする強い想いは、伝わらない経験から生み出される。

演劇に限った話ではなく、昨今では過剰に「コミュニケーション力」を求める声が強い。特に就職活動では、何よりも重要なスキルだとして真っ先に挙げられるのが、このコミュニケーション力だ。漠然としていて具体的に何を指しているのかわからないこの言葉。実は、演技することによって磨かれる能力と同じなのだ。コミュニケーションは伝わらなければ意味が無い。伝えようとする強い想いは、伝わらない経験から生み出される。コミュニケーション力は決して才能などではなく、体験し、理解し、学ぶことで磨かれるものなのだ。情熱を持って演劇に取り組む部員たちは、表現する力を学ぶことで、どんどん色鮮やかになっていく。演劇そのものの楽しさとともに、伝えるとは何なのか、表現するとは何なのか、そして、コミュニケーション力とは何なのかについて学ぶことができる、実践的な青春小説となっている。

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女子高生達の青春

あなたが青春時代をどう過ごしてきたはわからないが、こういう青春を過ごしたかったと心から想うことになるだろう。そして少し、悔しくなる。

私たちは、さまざまな自分を演じながら生きている

「本当の自分」なんて、ない。

演劇とは何か。それは、「自分ではない誰かの人生を演じる」ということ。演じる能力があることを、人は特別な能力であるかのように言う。しかし、本当にそうだろうか?

あなたが両親と接するとき。親しい友人と接するとき。いけ好かない知人と接するとき。そして、あなたが遠からず想いを寄せている人と接するとき・・・。そのときの自分は、「誰に対しても公平な、ひとりしかいない本当の自分」だと言い切れるだろうか。多くの人はそうじゃないだろうし、「誰にでも公平」であることが正しいとは言えない。だって、両親に接するときと、いけ好かない知人に接するときの態度が一緒だなんて…それが正しいことだとは思えないから。人は、それぞれの相手に合った役割を演じながら生きているものだ。「本当の自分」とは、揺らぎないひとつの存在ではなく、相手のことを考えながらそれに合った役割を担う、それぞれの自分が連なったもの。役割を演じているからといって、何も恥ずかしがることはない。演技は「嘘」ではない。その原点は、相手のことを思う「愛」だ。相手に相応しい自分であろうとすることから、人は自然に役割を演じる。人間だから、時折そこに誇張や欺瞞が含まれることもある。だからといって、演技を悪とする必要はない。

人はいろんな役割を演じることで、成長していく

物語の語り部となるさおりは、小説の後半で、こう独白する。

私は、何ものにもなれない自分に苛立っていた。
本当は何かを表現したいのに、その表現の方法が見つからない自分を持て余していた。

演劇は、そんな私が、やっと見つけた宝物だった。

自分が何ものであるか、本当は何がしたいのか。

自分ひとりでは何ともできないこの想いを表現するには、「自分ではない何か」になるしかない。いろんな自分を演じることで、表現の幅は増えていく。自分の役割はひとつではない。だから、ひとつの役割が否定されたからといって嘆くことはない。それはただ、「自分の演技」が相手に合っていなかっただけ。自分の中には、無限大の自分がいる。人によって自分を変えることは、決して悪いことではない。

役割に入り込み、相手に想いを伝えようと、真剣にその役割を演じることができたなら、それはもう立派な自分のひとつだ。

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執筆者:渕上聖也

渕上聖也さんのアイコン
ライター・エディター。書評や映画評などの批評、インタビューを得意としています。ガイアックスソーシャルメディアラボのブログの中の人。コトバ使いにセンスのある女性が大好物です。人と積極的に会うことで日々のモチベーションを養っています。
ヘンテナプロジェクト:http://hentenna-project.com/

渕上聖也の読書中毒 -そうだ、帰りに本屋行こう。

画像提供:PAKUTASO様 企画:渕上聖也・大野謙介 GIFアニメ制作:大野謙介

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