【第2回】「怪獣映画からはじまるクリエーター人生」水本博之の今に至るまで
(執筆:CREM編集部 丸山亜由美)
【第1回】 探検ドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」について
【第2回】「怪獣映画からはじまるクリエーター人生」水本博之の今に至るまで
【第3回】「旅は無傷ではいられない」水本博之の創作哲学
クリエーター :水本博之
アニメーション作品を国内外で発表しつつ、探検家 関野吉晴のプロジェクトに参加。ドキュメンタリー映像の制作にも携わる。海のグレートジャーニーの序章的作品「僕らのカヌーができるまで」パート監督、 TV「新グレートジャーニー最終章 日本人の来た道 海上ルート4700キロ・完全版」パート演出など。最新作は「縄文号とパクール号の航海」。また長崎県大村市の市民が絵を描いて映画を作る「きおく きろく いま」も発表を控える。
第2回 「怪獣映画からはじまるクリエーター人生」水本博之の今に至るまで
ーー ものづくりが好きな少年だったとのことですが、映像を作るきっかけは?
水本監督(以下、敬称省略) 怪獣映画が好きだったんです。昔は単純に怪獣が好きだったのだけど、まあ、破壊衝動ですね。でもそんな破壊衝動を満たしていた怪獣映画って元々、非常にメッセージ性の強いものでもあったんです。背景に潜んでいる強い怒りというか。それに反応してたのかな。子どもの時には分からなかったメッセージが、大人になるにつれてわかるようになってきた。例えば、ゴジラは第五福竜丸事件、放射能、あるいは敗戦。ウルトラセブンだったら、軍隊と超人的な用心棒と侵略者。これらはあるときは現実の問題に置き換えられて、当時の社会問題を浮き彫りにしていて。
ーー それがドキュメンタリー作品の制作にも繋がっているように思います。
水本 それはあって…怪獣映画を見ていた影響なのではないかと。
ーー 影響を受けた作家や作品を3つ教えてください。
水本 最近好きなのは、ヴェルナー・ヘルツォークの「フィツカラルド」(1982年)。南米の少数民族が登場する映画なんですが、ものすごく引きつけられる。
ーー どういうところに共感を覚えるのでしょうか?
水本 南米の先住民を記号的な野蛮な人として描いていないんです。そのように見ている登場人物は登場するけれども。現地で映画を作る人たちが先住民と関係性を築く過程で、近代社会(我々)の目線だけではなく、異質な人たちを知ろうとして、尊敬の念を抱いている映像が多々あるような気がします。
ーー 「縄文号とパクール号の航海」にも通ずるものがありますね。
水本 自分と異なる文化圏の人のことを考えるときは、簡単な記号や枠組みで相手をくくれないはずなんです。既にある言葉では表現できない何かが目の前にある。何か違うぞ、何を考えているんだろうって。先住民というイメージの輪郭を自分で捉えなおそうと探し続けている。そういう姿勢にシンパシーを感じます。アーティストというのは、自分というフィルターと通して、社会に何かを訴えかけるシャーマンのような存在だと思っています。映画も同じです。
ーー ヘルツォーク監督に対しては、どう思いますか?
水本 映画が好きで、映画に憧れて作る人も多いと思います。でも、これだけ映像コンテンツが反乱している中で映画からネタを仕入れて、また映画として整形しなおすって、それもう埋もれるだけです。その観点から見ても、現地に入って消費されていないものを探そうとする彼の作品は好きですね。
ーー 続いての作品は?
水本 やはり、自分が映像を作るきっかけとなった「ゴジラ」(1954年)を始めとする怪獣映画かなあ。これらに出会ってなかったら映像の世界に足を踏み入れることはなかったでしょう。怪獣映画で下敷きにされていた消化できない重たい問題に気づかされたことも、ドキュメンタリー作品に手を出した理由でもあります。
ーー 最後は?
水本 ラストは、チェコのアニメーション作家であるカレル・ゼマン監督の作品。子ども向けの冒険物語なんですが、想像力に溢れていて憧れるんです。ドキュメンタリーは硬派なものなので、そればかりやっていては自分の頭も固くなってしまう。ファンタジーでもありつつ、きちんとしたメッセージがあるというのは、自分の中で持っておきたい要素なんです。
ーー ちなみに処女作は?
水本 感情的には全部が処女作。作る度に色々な発見があって、こんなことができるんだと毎回価値観に革命が起きているわけです。自分の作品は機会があって見返すこともあるけれど、それに浸っているよりは旅に出た方がいい栄養になりますね。
ーー ご自身の作品は、どのような変化を重ねているのでしょうか?
水本 昔は怪獣映画みたいなものを作りたいけれど、初めはテーマをどう織り込んでいいのか分からなかった。そもそも織り込むテーマを自分の中に何も持っていなかった。でも実力的には未熟だけど今ある力でもうこれ以上のものは出来ないってことを毎回やって、やりきれなかったことが蓄積していって。そこから段々とうまく表現する、あるいは何かを見つけて言葉にする方法が分かってきたんです。
ーー 水本監督にとって、アニメーションとドキュメンタリーの違いは?
水本 アニメーションの制作は、部屋の中で自分に向かっていきます。ドキュメンタリーは部屋の外にでて外に向かっていきます。その違いです。
ーー 新しい作品を作り続けるために、どんな工夫をされていますか。
水本 まだパッケージングされていない価値観、自分が見える価値観を更新していくことが必要で。そのためには色々な努力をしなくてはいけないですよね。僕の映画制作だったら例えば、ドキュメンタリーで得た知識や経験をアニメーションにフィードバックしたり。逆にドキュメンタリーにアニメーションを持ち込んだり。上手い具合に2つの世界を揺れ動いてゆけるのは大事かなと。
水本博之 2015年 「縄文号とパクール号の航海」公式サイトより
ーー 人との出会いで何かが変わったことはありましたか。
水本 「縄文号とパクール号の航海」の関野さんと出会ったのが一番大きい変化で、もう知り合ってから10年近い。ドキュメンタリーを作るきっかけにもなったし、ふらふらと海外に出かけて常識と違うものが見たくなるのも明らかにこの人のせいです。まあ、さらに昔だったら予備校の先生が「粗いことを生かしていくしかないよね」って言ってくれたことですね。僕は今でこそ美大出身だけど猛烈に絵が下手で線がまっすぐ引けないんです。そのアドバイスがきっかけで、ある時期まで粗さを持ち味にして作っていけた。
水本博之 2015年 「縄文号とパクール号の航海」公式サイトより
ーー それが通用しない場面にぶつかった時は?
水本 粗さが通用しなくなった時、今までの方法を横に置いて他の方法を見つける努力をしたんです。描くアニメはひとまずやめて人形を動かすことに切り替えてみたり。今持っているネタが古くなったときに発酵させてみることも必要です。いつか役に立つ調味料になるかもしれません。作家としての個性は大事ですが、固執しては駄目でそれが通用するまで引き出しにしまって、必要な時に開けると。
ーー 映画制作の過程でインドネシア語も習得されたり、気分転換にマイナーな外国語を勉強するという水本監督。言葉を話せると現地でも色々なドラマが生まれそうです。最終回は水本監督と切っても切り離せない「旅」と作品の関係についてお届けします。
(執筆:CREM編集部 丸山亜由美)
クリエーター :水本博之
アニメーション作品を国内外で発表しつつ、探検家 関野吉晴のプロジェクトに参加。ドキュメンタリー映像の制作にも携わる。海のグレートジャーニーの序章的作品「僕らのカヌーができるまで」パート監督、 TV「新グレートジャーニー最終章 日本人の来た道 海上ルート4700キロ・完全版」パート演出など。最新作は「縄文号とパクール号の航海」。また長崎県大村市の市民が絵を描いて映画を作る「きおく きろく いま」も発表を控える。
【関連リンク】
縄文号とパクール号の航海公式サイト:http://jomon-pakur.info/index.html
■公開日時
ポレポレ東中野で公開
3月 28 日~4月 10 日 12:30 / 15:30
4月 11 日~ 上映時間未定
*3月 28 日 12:30 の回は、本作主役で探検家の関野吉晴および、関係者舞台挨拶

(いいね!で最新記事を毎日受け取れるみたいですよ)
あなたの好奇心を刺激する
コラム、ビジュアルビュース、GIFマンガ、海外映像作品紹介記事を毎日配信